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北海道民医連新聞

民医連看護が輝くとき

故郷を支える訪問看護
2008-01-31 20:02

勤医協うたしない訪問看護ステーション

小さくてもキラリと光る

 「今年は雪が少ないので、とても楽です」。勤医協うたしない訪問看護ステーション所長の中村香さん(27)は屈託がありません。同ステーションは、過疎化と高齢化が進む旧産炭地、歌志内市、上砂川町と、砂川市の一部をエリアに、「ここで暮らしたい」と願う人々を支えています。

 

上砂川町下鶉の高浜要一さん(77)は奥さんの文子さん(76)と2人暮らしです。
炭鉱で15年働き、その後、土木作業員を経て、55歳で退職しました。工事現場での事故が原因で、退職後数年すると徐々に歩けなくなり、両肩関節脱臼の後遺症もあって、両腕は僅かしか上がりません。
 奥さんの介護に頼る生活は15年になります。トイレや着替え、ベッドと車イスとの間の移動など、生活動作の一つひとつが大仕事です。トイレから居間に戻るまで40分かかったこともあります。
 文子さんは夜間、要一さんのベッドの傍にあるソファに寝て、1時間半ごとに排尿や体位交換などの世話をしています。
 2人の子どもたちが「一緒に住もう」と言ってくれますが、文子さんは「ここがいいものね」と要一さんに笑顔を向けます。
            高浜さんの足浴をする児玉さん。「足が温まると調子がいいよ」

 2人の暮らしを、訪問看護師が支えています。
 ケアマネジャーを兼務する児玉悦子さんの勧めで、昨年4月から週2回の通所介護も利用しています。
 「デイで週2回入浴するようになり、腰部の褥瘡はずいぶん小さくなりました」と児玉さん。要一さんがデイに通う日は、文子さんの貴重な息抜きの日にもなっています。
 同ステーションが開設されて約10年。9年前に神威診療所の入院ベッドがなくなり、「自立した訪看」への脱皮を求められました。患者さんも看護師も、意識の転換は容易でありませんでしたが、地域連携を強め、乗り切ってきました。そして今年、「もう何も怖いものはない」と覚悟を固められる出来事がありました。
 「夫が誤嚥して呼吸状態が悪い。主治医に連絡がつかない」という緊急電話を、池端友美さん(27)が受けました。砂川市のがん末期の患者さんでした。
 池端さんと中村さんが駆けつけ、児玉さんも吸引器を持って後を追いました。手を尽くしましたが、呼吸状態は改善しません。連絡がついた主治医は「行ってもすることがない。救急搬送して下さい」。家族の思いを受けとめた3人は、改めて家族に往診を依頼してもらい、医師とともに在宅で最期を看取りました。
 「患者さんとご家族に寄り添うこと以外、何が出来たわけではありませんが、ご家族に感謝して頂き、少し自信を持つことが出来ました」と、児玉さんは振り返ります。
 池端さんは滝川市内の精神科病棟で6年間働き、結婚を機に、同ステーションで働き始めました。
 「病院では、何かあると医師に相談できましたが、訪看は自分が頼りです。ここでは病棟では聞けなかった『ありがとう』という言葉を聞けますから、とてもやりがいを感じます」
 中村さんは、「小さな訪看ですし、私たちに出来ることは僅かです。でも『家が一番いい』と言う患者さんが元気に暮らし続けているので、役割は果たせているのではないでしょうか」と控え目に語ります。
 児玉さんも池端さん、中村さんも、過疎化・高齢化が進む、雪深い中空知が故郷。地域の人々を支える訪問看護の仕事を「天職」と感じています。
 「児玉さんは90歳までケアマネジャーで働き、私たちは78歳まで訪問看護師で頑張ろうね、と話し合っているんです」
 中村さんの言葉に、3人の笑顔が弾けました。

左から児玉さん、中村さん、池端さん=1月16日

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