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北海道民医連の原風景

夢と情熱は人を動かす
2008-03-25 13:18

センター病院建設募金運動

「お金を、力を、知恵を貸して」――1974年、北海道勤医協は「センター病院」(中央病院)の着工を前に、医師、看護師、事務など4、5人からなる「センター病院建設記念巡回医療班」を6班編制し、5月、6月の2カ月間にわたり全道各地に派遣しました。関係者は「夢と情熱は人を動かす」ことを実感したと語ります。

 1974年6月。エゾカンゾウやハクサンチドリ、ミツバオウレンなど、湿原の花々がようやく咲きそめる初夏のサロベツ原野。
 土埃が舞い上がる、どこまでも続く道を、当時30代の森谷尚行医師、三上紀子看護師、40代の事務職員、石井清治さん(故人)、20代の青年医師、川村純一郎さんの4人は、小中学校の教師が運転する車に乗って、1週間にわたり、宗谷管内の学校から学校へとリレーされていました。
 「今思い返しても夢の中の出来事のよう」と、三上紀子さん(68:写真)は当時を振り返ります。
「民主勢力と苦労や喜びを分かち合い、センター病院を建設した 当時の気持ちの高揚を、どうしたら継承できるか、今が考えどきですね」と語る三上紀子さん=札幌市東区の自宅で             



 建設資金の協力を 
 1970年、北海道勤医協は第1次5カ年計画を決定し、民医連運動の全道展開と、新たなセンター病院構想を打ち出しました。建設資金を得るため、募金運動に精力的に取り組み、動労(当時)や高教組など多くの労働組合、民主団体が要請に応えました。北教組根室支部は定期大会で「勤医協の提起を積極的に支持し、全組合員はもちろん、ひろく地域住民に趣旨を広め全面的に協力する」ことを決議していました。
 中央病院?期工事竣工前年の1974年、北海道勤医協は北海道教職員組合(北教組)各支部の協力を得て、渡島、桧山、胆振、宗谷、釧路、根室、網走などに医療キャラバン「センター病院建設記念巡回医療班」を派遣し、組合各分会を回って、簡単な検診をしながらセンター病院建設資金への協力を訴えました。宗谷地域を担当したのが先の4人でした。

 期待の大きさ
  

 「医療班といっても、持っていったのは聴診器と血圧計、検尿のテステープぐらい。でも、北教組の先生たちは、地域の人たちにも声をかけて、私たちを待っていてくれました」
 健康を害しながら、適切な医療も受けず、激しい労働に従事する地域の人々。教え子や家族の健康を気遣い、自らの健康に不安を抱く教師たち…。
 医療過疎の現実が胸にこたえました。一行は懇談で中央病院建設の意義を熱っぽく語り、建設資金を貸してほしいと訴えました。
 「森谷先生は、『稚内を中心に道北の医療を担える日は必ず来る』と情熱を込めて話していました。民主的な医療を全道に広げる夢を熱く語っている姿は頼もしかったですね。でも、見ず知らずの私たちにお金を貸す人なんているんだろうかと不安でした」
 三上さんの心配は杞憂でした。ほとんどの組合員が協力を申し出ました。「今はお金がないけれど、ボーナスが出たら必ず送ります」と約束し、言葉通りに送金してきた人もいました。期待のあまりの大きさに「それにふさわしい役割を果たせるだろうか」と不安になるほどでした。
 次の学校へ向かう車の中で、窓外に広がる雄大な自然に目をやりながら、「力をつけよう。センター病院の建設を成功させよう」と一行は決意を固めました。
 夜遅く稚内の宿に戻り、床に入った三上さんは、夫に託してきた2人の幼子を思いました。襖を隔てた隣の部屋では出稼ぎ漁師たちのいつ果てるとも知れない酒盛りが続いていました。

北教組豊富支会の教師たちと。左から石井さん、川村さん、森谷さん、庄子さん、1人置いて三上さん=1974年6月、サロベツ原野の展望台で

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