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北海道民医連の原風景

住民の熱い期待に応えて
2008-03-31 07:58

オホーツク勤医協の誕生 
 人には、それぞれ幼・少年時代、青年時代という広大な故郷があり、生きるエネルギーをそこからくみとっています。北海道に民主的医療運動が芽吹いて、60年。広大な北海道民医連の故郷を訪ね、原風景をスケッチして、シリーズでお届けします。

 北海道民医連の6番目の医科法人として1993年4月に設立されたオホーツク勤労者医療協会(平野浩理事長)。もっとも若い法人が、今年設立14年目を迎えます。

 「子どもの病気で北海道勤医協の札幌病院を受診したとき、医師から『大変でしたね』とねぎらいの言葉をかけられ、涙が出るほど安堵しました。こんな病院が北見にもほしいと思いました」
 障害をもつわが子を抱いて、長谷川充子さんは、北見地域の病院を転々としてきました。子どもを物のように扱う病院もあり、怒りでそのまま連れ帰ったこともありました。

 長谷川さんら地域住民の熱い期待に支えられ、オホーツク勤医協北見医院が94年5月に開院しました。
 協会設立以来の理事、那須実さんは、「医者は診てやる、患者は診ていただくという関係で、病院への不満がずいぶんありました。医療懇談会などで住民と膝を交えて語り合う平野先生の姿は、住民には本当に驚きでした。勤医協が来てから他の医療機関の対応が良くなったと多くの住民が実感しています」と話します。                                          長谷川充子さん

 職員23人で始まった北見医院は、全道から看護師や薬剤師支援を受けながら病院化や介護事業への展開を進め、現在は105人のスタッフを擁し、地域の医療・介護の重要な一翼を担っています。
 初代専務の横山英生さんは、「全道、全国の力を結集したからこそ今の発展があります」と実感を込めて語ります。宮城や神奈川などから薬剤師支援を受けてきた薬剤科主任の丸山英孝さんは、「全道・全国の仲間との交流で多くのことを学び、“民医連はひとつ”を実感しました」と話します。
那須実さん
                                          
 病院化して間もない北見病院に、「血を吐いて寝込んでいる青年がいます。保険証もお金もない人でも助けてくれる病院があると聞きました。ここでいいのでしょうか」と、女性が駆け込んできました。青年は肺がん末期でした。会社の倒産で失業中の青年は、北見病院に緊急入院し、1月後に亡くなりました。「もっと早く対応できていれば」――職員みなが泣き、“困っている人々のより所になれるように頑張ろう”と改めて決意を固めました。
 地域の医療連携も発展しています。開業医や地域のセンター病院 などの医師で「オホーツク地域医療を考える会」をつくり、平野理事長も世話人を務めています。平野理事長は、「地域ネットワークの1員として勤医協が持つ機能を生かし、役割を発揮したい」と語ります。腰岡雅昭専務は、「医療、介護、リハビリ、認知症まで、多面的な地域の要望に応えられるように、地域住民1人ひとりの思いに寄り添った医療・介護活動を追求したい」と抱負を語ります。                平野理事長と2番の固定医、富田薫さん署名運動で全道・全国をリード
 同勤医協ではこの間、青年職員が先頭に立って、医療や社会保障改悪反対の署名運動などに取り組み、道民医連のけん引車の役割を果たしてきました。
 前出の長谷川さんは、「勤医協の存在自体が地域の雰囲気を良くしていますし、職員の元気な姿と熱意が、地域住民を励ましていると実感しています。医療改悪など、どんな厳しい情勢であっても、笑顔で前向きに立ち向かっていく姿勢をいつまでも私たちに見せてほしいですね」と語ります。
 患者の思いに寄り添い、地域住民とともに歩んできたオホーツク勤医協は、地域住民にとって、これからも宝であり続けます。
(北海道民医連新聞2006年3月5日第241号)







      オホーツク勤医協の職員                                   

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