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北海道民医連の原風景

地域を変えた難病相談会
2008-03-31 07:56

難病医療と北海道民医連

1970年代初頭、北海道の難病患者は2重の不幸を背負っていると言われました。難病に冒された不幸と北海道に生きる不幸――。専門医の不在、遅れた治療法、交通機関も不自由ななかで孤立する難病患者さん…。しかし今日、度重なる制度改悪に見舞われながらも、北海道は依然、全国有数の「難病対策の先進地」とみなされています。難病患者団体の関係者は「北海道の難病対策の歴史に北海道勤医協が欠けていたら、現在の姿ではあり得なかった」と語ります。難病への民医連の取り組みを2回に分けて跡づけます。
 

難病であっても住み慣れた地域で暮らしていくために何ができるかを議論したシンポジウム=8月19日、枝幸町中央コミュニティーセンター
難病フォーラム 

8月19日、枝幸町で宗谷保健福祉事務所主催の「難病医療を考える南宗谷町民フォーラム」が開催されました。
 南宗谷(枝幸町、歌登町=今年3月枝幸町と合併、浜頓別町、中頓別町)4町は1997年から道難病連と共同で9年連続「難病医療・福祉相談会」を開催してきました。フォーラムは今年10回目を迎えた難病相談会の成果を確認し、難病であっても住み慣れた地域で暮らしていくために何ができるかを考えようと企画されました。難病患者と家族、地域住民らが大勢参加し、枝幸、中頓別両町長や議会議長、議員らも多数会場に足を運びました。
 シンポジウムで4町の保健師集団がまとめた「南宗谷難病医療・福祉相談会9年の歩み」を枝幸町保健福祉課主任保健師の植村由佳さんが発表しました。植村さんは、相談会が特定疾患や身障手帳、障害年金の申請・等級変更などで大きな成果をあげたこと、難病への地域の人々の理解が深まり、リウマチの患者会も出来たこと、専門医と地元医師との連携が深まったことなどを報告し、「難病患者さんが暮らしやすい町はみんなが暮らしやすい町。南宗谷がそんな優しい町になるように今後も頑張りたい」と発言を結びました。
 リウマチ専門医としてほぼ毎回、通い続けた中井秀紀医師は、「地域の医療、介護、福祉のネットワークがつくられてはじめて難病医療をどうしようかということにつながる。専門医療だけが突出して前進することはない」と強調しました。
 中頓別町国保病院の住友和弘院長も「地域にこんなに大勢の難病患者がいることを初めて知った。専門医と連携しながら地域で出来ることに力を尽くしたい」と発言しました。
 道難病連は1975年以来、道の委託事業として毎年3カ所で難病相談会を実施していますが、同一地域で9年も連続して開催するのは異例。シンポジウムの司会をした道難病連代表理事の伊藤たておさんは、「保健師を中心に、保健所、患者団体、医師らがチームをつくり、結束して難病相談会を実施しているのは全国でこの地域だけ。地域の医療・福祉にも大きな役割を果たしてきた」と、4町の保健師たちを賛えました。

南宗谷を優しい町に

頑張る保健師は元民医連の職員 

 「枝幸町は何でそんなに難病を一生懸命にやるの、という疑問は確かにあるかも知れません」        工藤裕子さん(枝幸町保健福祉センター所長)

困難を直視して  

 難病相談会の継続に努めてきた工藤裕子さん(枝幸町保健福祉センター所長)は言います。工藤さんは勤医協札幌病院や苫小牧病院などで働いたことのある元民医連職員。病院で「待つ」医療にもの足りなさを感じ、1987年、枝幸町に保健師として就職しました。
 地域に入って工藤さんはがく然としました。脳卒中と周囲も本人も思っていた人が、実は神経難病のパーキンソン病でした。多くの難病患者が正確な診断も治療も受けないまま地域に散在し、孤立していました。
 難病、結核、精神は保健所の管轄。しかし枝幸から稚内の保健所までは片道2時間以上もかかります。
「管轄外だからと、困っている町民を放置できない」
 切迫した思いで、名寄市などで開かれる難病連の学習会などに患者さんを連れて行きましたが、出来ることは限られていました。
 地域の難病患者を専門医療につなげ、組織化するノウハウがほしいと切望していた工藤さんに、1997年、難病連から「枝幸町で難病相談会をやらないか」と声がかかりました。1も2もなく飛びつきました。
 検診団には毎回、民医連からリウマチ専門医、整形外科医、看護師、リハビリ技師が参加しました。誰に対してもわけへだて無く接する民医連の職員は地域の人々に新鮮な驚きを与え、難病相談会は工藤さんの期待以上の変化を地域にもたらしました。
 「委託事業としてはこれ以上継続できない」と道に言われて以降も「地域の医療水準を上げるために相談会を継続したい」と工藤さんは奔走しました。
 「難病ばかりやって生活習慣病対策が遅れている」という批判もありました。工藤さんは率直にそれを認め、「申し訳ないけれど自分で病院に行ける人は自分で行って下さいとお願いしました。都市部と地方では格段の差がある現実に手をつけてきた。難病の方たちは療養の道筋もなかったのです」と語ります。難病対策とともに、療育を受けられず家庭で孤立していた障害児や、精神疾患の対策にも力を入れてきました。
 「町の保健師として本来求められた生活習慣病の予防活動は最後になりました。今、それを後輩たちがやっています」

 確かな手応え
 

 「10年の歳月は地域の医療・福祉を担う人材を育てました。それだけの力を難病相談会は持っていた」と工藤さんは語ります。
 フォーラム後の懇親会の席で町議らは「感動した、知らなかった」「あなた達はこんなすごいことをやっていたのか」と、保健師たちの手を握りました。
 枝幸町長の荒屋吉雄さんは「医療過疎地域で難病患者さんは闘病に多くの悩みを抱えている。医療体制の整備、在宅医療の充実を図り、安心して生活できる環境作りが必要。難病患者の困難を社会全体で理解し、支えあうことが求められている」と語り、難病相談会を発展させ、継続したいという保健師らの願いに理解を示しました。難病患者の困難を理解し、町ぐるみで支えようとしている枝幸町
 難病連南宗谷支部事務局長の野口良子さんは「社会保障が後退する中で、難病に目を向けてくれる行政の温かさに、本当に感謝している」と語りました。
 工藤さんは今、地域づくりが進み、難病のことを考える仲間が増えたことに、確かな手応えを感じています。そして「もし自分に民医連で働いた経験がなければ、行政の壁を乗り越えて頑張りぬく力がついていただろうか」とも思います。
(北海道民医連新聞2006年10月5日第254号)

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