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北海道民医連の原風景

患者さんとともに歩む
2008-03-26 08:57

難病医療と北海道民医連2

 「難病に冒された不幸と北海道に生きる不幸を解消したい」。民医連医師の難病医療への挑戦が、難病連や地域行政・保健師の努力と結びついて成果をあげた南宗谷地域のレポートに続き、今号では、難病医療を切り開いた民医連医師たちの足跡を跡づけます。


 「難病専門医の立場から制度の創設にかかわった者として、このような改悪は許せない」――道が難治性肝炎・橋本病など道単独の難病医療助成制度の廃止・見直しを打ち出したとき、大橋晃医師(日本共産党道議会議員)は議場で強い憤りを表明しました。  大橋晃さん

 患者会結成に尽力

 「難病医療への民医連の貢献は大きく、とりわけ患者運動への貢献は大きかったと思います」。医師としての人生の大半を難病患者とともに歩みました。
 1967年に北海道勤医協に参加した大橋医師は北大第2内科で免疫学を研究し、勤医協に戻ると札幌病院でリウマチ・難病外来を開設しました。当時、道内には神経難病や自己免疫疾患の専門医は札幌などにごく少数がいるだけでした。
 大橋医師を頼って全道から多くの患者が集まりました。大橋医師は勤医協リウマチ患者会を結成し、職員を巻き込んだ慢性疾患管理活動に力を入れる一方、全道の難病患者会の結成に尽力し、73年、相次いで誕生した患者会10団体(1100家族)が北海道難病連を結成しました。

 難病専門委員に

 72年、厚生省が難病対策要綱を打ち出すと、道難病連は73年、大橋医師ら専門医の力を借りて難病の集団無料検診を札幌市立病院で実施しました。無料検診は旭川、帯広、函館、室蘭、釧路などへ範囲を広げ、どの会場にも患者さんが殺到しました。北海道の難病検診は画期的な取り組みとして全国に知れ渡りました。
 時の堂垣内道政は特定疾患対策協議会を設置し、専門委員の1人に大橋医師を委嘱しました。75年、道単独の対象疾患について諮問を受けた対策協議会で、大橋医師は大学教授などの権威に1歩も引かず、患者の声を代弁して難治性肝炎と橋本病を指定させました。
 中井秀紀医師、田村裕昭医師がその後、専門委員を引き継ぎ、難病対策の拡充に尽力してきました。
 北海道難病連代表理事の伊藤たておさんは「北海道で難病対策が始まったときに、大橋先生がリウマチや膠原病のトップにいたことは非常に大きな事でした。もし、難病検診がなかったら、その後の北海道の難病対策は他県なみだったでしょう」と語ります。
中井秀紀さん

 「押しかけ添書」


 東大で研修し、77年に札幌に戻った中井医師は、中央病院にリウマチ専門病棟をつくり、整形外科医や看護師、薬剤師、リハビリ技師、検査技師、事務職員らとともにリウマチグループを結成して患者教育、リハビリ、手術、社会復帰支援などの総合的なリウマチ治療に取り組みました。専門病棟の入院治療は患者さん同士の励まし合いもあり、予想を超える成果をあげました。患者会の活動も多彩に広がり、その頃から始まった患者会の1泊旅行は今も回を重ねています。
 一方で、全道から集まるリウマチ患者は相変わらず適切な医療を受けられずに重症化し、孤立したまま苦しみ続けていました。
 80年、勤医協リウマチグループは患者会の協力を得て全道の患者実態調査を実施し、専門医の不在、患者の孤独を浮き彫りにしてマスコミに報道されました。難病になった不幸と医療過疎地に暮らす2重の不幸を解消しなければ――中井医師らは同年、地方の実態を把握するために江差町を中心とする南桧山での難病検診に取り組みました。翌年からは難病連が加わり、自治体保健師の協力も得られるようになりました。
 各地で開催した難病検診は、専門医に会える数少ない機会として地域住民に歓迎され、多くの患者さんが集まりました。しかし、地元医師には必ずしも快く思われませんでした。中井医師らは「押しかけ添書」と称し、治療方針を詳細に記した手紙を患者さんに託しましたが、「どこの馬の骨とも知れない若造が、何を生意気な」と、患者さんの目の前で破り捨てられることもしばしばでした。
 南桧山の難病検診は5年間続けられ、「難病患者が地元で良い医療を受けられるように」という検診団の思いが徐々に受け入れられ、地元医療機関との連携もとれるようになりました。
 南桧山の人々は、難病医療を前進させるためには地域医療そのものを変えなければならないと「南桧山の医療を考える会」を起ち上げ、道立江差病院の拡充を求める運動や、道南勤医協江差診療所の建設運動に結びついてゆきました。
 難病検診、難病連の相談会と並行し、勤医協リウマチグループは81年、北海道民医連内のリウマチ特診を釧路、函館、苫小牧で開始し、その後、帯広、室蘭でも定期的に実施しました。土曜、日曜が2週に1度は特診で潰れるハードスケジュールにも「楽しかった。苦にはならなかった」と中井医師は振り返ります。

 特診では患者さんを診るだけでなく、必ず勉強会を開催して現地の医師や看護師、リハビリ技師に膠原病やリウマチについて学んでもらいました。医師の何人かは、その後、専門医となってそれぞれの地域で難病医療を担っています。南桧山の医療を考えるつどいで講演する中井医師=1982年11月14日、江差町公民館=冊子『南桧山の医療を考える』から

 民医連だからこそ


  民医連が難病医療への取り組みを開始した時期、難病医療は最も困難な分野の1つでした。
 「大橋先生の時代は専門医も少なく、札幌などに偏在していましたが、30年間で状況は大きく変わりました。そこで果たした難病連と民医連の役割は大きい」と中井医師は語ります。
 現在、道民医連6医科法人のうち北見を除く5法人にリウマチ外来があり、それを地元の民医連医師が担当しています。そこで管理するリウマチ・膠原病患者さんは約4000人を数え、民医連は北海道のリウマチ治療の1大拠点として役割を果たしています。
 大橋医師は、「難病医療への民医連の貢献は自己免疫疾患にとどまりません。肝炎の美馬聴昭、後縦靱帯骨化症の猫塚義夫、神経難病では塩川哲男などの医師がそれぞれの分野で大きな役割を果たしました。最近少なくなって残念だけれど、難病患者の全道集会では疾病ごとの患者会の講師を大勢の民医連の医者が務めたものです」と語ります。
 「難病は採算のとれる分野ではありません。民医連だからこそ長くおつきあい頂けた」
 難病連の伊藤さん(写真左)は断言します。
 「北海道の難病対策の歴史に北海道勤医協、民医連が欠けていたら、現在の姿ではあり得なかったでしょう。これは誇大な表現でも過大評価でもありません」
(北海道民医連新聞2006年11月2日第256号)

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