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北海道民医連の原風景

中病と道東の教師たちの絆
2008-03-24 19:05

友の会が地域・医療の再生力に
 
 根室・釧路の小・中学校の元教師たちは、民医連と中央病院に、ひとかたならぬ愛情と信頼を寄せています。教師たちと民医連、遠く離れた中央病院の間に、どのような絆があるのでしょうか。川面に蓮氷が浮かぶ釧路市に、元・北教組釧路支部長の菊地義夫さん(78)=釧路町在住:写真右=、元・同根室支部書記長の山口庄一郎さん(76)=根室市在住:写真左=を訪ねました。
 


離島検診に衝撃 
 釧路・根室一帯は、長く「無医地区」として医療から取り残されてきました。その地で教育運動、労働組合運動に情熱を傾けていた菊地さん、山口さんらにとって、教職員と家族、教え子、地域住民の健康をどう守るかは、常に頭を離れない問題でした。教員の人事異動の第1希望は「病院があるところ」でした。
 73年、北海道勤医協は北教組宗谷支部の協力で、利尻、礼文両島へ検診団を派遣しました。離島検診について宗谷支部が出した報告集を見て、山口さんは「教員組合がこんなことも出来るのか」と驚きました。
 山口さんは、菊地さんと札幌の北海道勤医協本部に塚田龍爾理事長を訪ね、釧根にも病院をつくってくれと談判しました。
「私たちも勤医協を全道に広げたいと思っているが、地域でしっかりした住民の受け皿をつくることが先です。私たちを受け入れてくれるような住民の運動と組織をしっかりつくってほしいと、塚田先生に懇々と教えられましたよ」
 帰途、2人は「まず釧路市に拠点をつくろう。そのために何をすべきかを考えよう」と話し合いました。

学校巡回医療班 
 
 1970年にセンター病院の建設と民医連の全道展開を決めていた北海道勤医協は1974年、中央病院建設への協力を要請するため、北教組各支部へ医療キャラバン隊を派遣したいと申し入れてきました。
 山口さんは言います。
「何で札幌につくる病院のために金を出すのか、得心するまで議論しました。中病建設は、医者が安心して地域に来るためにも必要なのだと話し合い、定期大会で1000万円集めようと意思統一しました」
 菊地さんは、「私の所では釧路に必ず俺たちの病院をつくるから協力してくれと訴えましたね」。
 同年6月、根室を訪れた山辺富也、渡辺武夫医師らは、管内全ての小中高校138校を1週間かけて回りました。
「授業中に検診団が到着すると、校長が『自習にして先生は直ちに職員室に集まってください』と校内放送をする。中病建設の訴えを聞き、簡単な検診をして、協力金の予約をして授業に戻る。どこの学校もみんな待っていました」
 釧路には、阿部昭一医師をはじめ医者9人、看護師4人、事務4人が入り、公民館を使って地域住民の検診と教職員の検診を行いました。標茶町では教育長が検診団を歓待しました。
 根室支部は早々に1000万円を突破し、釧路支部は最終的に1200万以上を集めました。その後も協力資金は続々寄せられました。宗谷、胆振、桧山、渡島、網走各支部を含め、「7支部合計で最終的には1億近く集まったと思う」と山口さんは言います。
「中央病院は私たちの誇りでした」と菊地さんは言います。完成間もない中央病院に入院した教師や住民たちが、「ものすごく親切だった」と感激して帰って来ました。
「中病建設で我々の運動が大きな役割を果たしたのは事実です。しかし、それに応える民医連の院所が実際に札幌にあって、こういう病院を自分の地域にもつくりたいと住民が思った。そのためには、地域にそれを支える住民組織と運動が必要だという基本了解がつくられた。それがとても重要なことでした」と2人は口をそろえます。
左:標茶町上御別小学校の児童健診:1976/10/19

右:弟子屈町川湯小学校での健診:同

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