北海道民医連の歩み
北海道民医連の歩みを未来に~いのちの平等を求めて~
北海道民医連の歩みを未来に~いのちの平等を求めて~
2008年1月26日 北海道民医連30周年記念 祝賀会実行委員会事務局作成
北海道民医連は今年結成30周年を迎えた。戦後の北海道の民主的医療運動の開始から約60年、働く人々とともに「命の平等」めざしてたたかい続けてきた歴史である。
労働者・農民の病院を作れ
民医連運動の源流は戦前の無産者診療所である。山本宣治が暗殺された葬儀の場から「労働者・農民の病院を作れ」というよびかけが発せられた。このよびかけに応え医療の民主化に立ち上がったものたちがいた。
いのちの平等を掲げ奮闘
無産者診療所は「命の平等」を掲げ献身的に活動した。支えたのは20代の医師、看護師、事務職員だった。
敗戦。戦後の荒廃と混乱の中で、家を失い、職を失い、肉親を失い、飢餓と病気に苦しむ人たちがあふれていた。全国各地で民主診療所建設が開始された。
戦前からの先駆者によって
北海道にも不屈に無産者診療所の伝統を受け継いだ人々が存在した。このような先駆者が、戦後活動を開始する。
1949年 北海道勤医協設立
1946年全駐労診療所、その後余市、浦河、札幌診療所を日本共産党から受け継ぎ、1949年社団法人北海道勤労者医療協会が設立された。
莫大な負債・倒産の危機
診療所は、燎原の火のように広がった。しかし、勤医協は無謀なセンター病院計画によって、莫大な負債を残し、倒産の危機に陥った。勤医協は定款にもとづく民主的運営の大切さを痛苦の教訓として学び、再出発した。
勤医協前進の推進力に
再建総会から10年、1966年に5名の青年医師が集団で参加した。「たたかいつつ学ぶ」を合い言葉に連綿として医学技術の研鑽を積み重ねた。
全道への民診展開と建設とセンター病院建設
1970年北海道勤医協は、第一次5カ年計画を決定、「全道の民主診療所建設の推進力になる」ことを決めた。73年には新しいセンター病院建設を決定した。
1975年 勤医協中央病院を建設
1975年勤医協中央病院が誕生した。建設に向けて全道に医療キャラバンを派遣、病院建設への協力を訴え、多くの協力が寄せられた。
道北へ
中央病院建設と並行し全道展開が開始された。1975年初めての新法人として道北勤医協設立。友の会の阿部理(おさむ)氏は「あのころ医者といったら近寄りがたく、患者がいろいろ聞くなんてできません。そこへ親切で丁寧に説明してくれる上、患者から一切物を受け取らない。住民にとっては驚きでした」と語っている。
道南へ
道南勤医協・初代理事長の畑中医師は、「当時、北海道勤医協で当たり前にやっていた夜間診療や早朝カメラ、慢性疾患管理、懇談会などは、当地にとって初めてだった」と語る。
道東へ
道東勤医協の初代理事長・時沢医師は、「地域に根ざした医療は、乾いた土壌に水がしみいるように広がり、医療を渇望する人たちのパワーと結びついた」と語る。
1978年 北海道民医連結成
そして、1978年1月29日北海道民医連が結成された。
苫小牧へ
80年代、北海道民医連は引き続き全道展開をすすめ、新たに苫小牧に病院が建設された。
十勝へ
80年代後半には、十勝へ展開した。
オホーツクへ 北海道民医連の力を結集して
90年代はオホーツクへ展開し、80年代からの目標であった「6圏域での展開」が実現した。
介護・福祉分野への展開
90年代には、高齢者医療や福祉の活動が急速に発展した。
高齢者の生活と人権を守る介護
介護事業は大きく広がった。
現在、全道で158事業所、1,500人の職員が、高齢者の生活と人権を守る介護に奮闘している。
医薬分業・保険薬局の展開
90年代には、「医薬分業」を推進し、民医連の保険薬局が開設された。
また、エイチ・エム・メディカル協同組合が設立された。
歯科医療の展開
歯科は30年間、「保険で良い入れ歯」の運動をはじめ、歯科医療の充実と制度の改善をめざし活動してきた。
この歴史の上に新法人を設立し、新たな歩みを開始している。
地域に根ざした保険・医療・介護福祉活動を展開
現在、北海道民医連は、医師220人をはじめ、職員約5,100人が、26万人の友の会員とともに、地域に根ざした保健・医療・介護福祉活動を展開している。
南西沖地震・有珠山噴火の救援活動
有珠山の噴火、奥尻沖地震など、災害時には常に北海道民医連の姿があった。
1995年 阪神大震災救援活動 職員57名が参加
「阪神淡路大震災」の救援活動にも参加し、現地に健診車を贈った。
離島健診30年 -日本最北端の島 利尻・礼文-
日本最北端の島 利尻島、礼文島に、1973年から30年間、大規模な健診団を派遣した。
今、稚内では宗谷医院が活躍している。
難病医療と北海道民医連
難病医療の先進地と言われる北海道。そこには、地域特診や相談会など、北海道民医連の医療活動が大きな役割を果たした。
糖尿病の密着ターゲス
疫病を生活と労働の場からとらえる
当別診療所から発信された糖尿病の密着ターゲス。患者さんの生活にそくした療養指導は、全道的にとりくまれた。
ERHSE 世界を驚かせた究極の『縮小手術』
いまから25年前、勤医協中央病院から、早期胃ガン治療の画期的な技術が世に送り出された。内視鏡で病変部を切除するERHSEは、早期ガン治療の新時代を切り開いた。
働く人びとに心を寄せて
民医連は、一貫して労働者と連帯する医療活動をすすめてきた。
60年代には、亜硫酸ガス中毒症や、炭坑労働者の酸素欠乏後遺症などの労災認定をかちとった。
青函トンネル労働者の労災認定のたたかい、長距離トラック運転手の実態調査、過労死問題、最近では、太平洋炭坑離職者の健康調査など、その活動が続いている。
社会保障への総攻撃に抗して
北海道民医連の30年は、激しい社会保障改悪とのたたかいであった。
道民や医療関係者と手を携え、全力で立ち向かってきた。
眼内レンズの保険適用・在宅酸素の補助を求める運動
眼内レンズの保険適用や、在宅酸素の電気代に補助を求める運動など、医療現場や患者の願いを出発点に、数々の要求実現運動をすすめてきた。
平和と憲法をまもる
核兵器廃絶、平和や憲法を守るたたかいもすすめてきた。
共同の営みの医療
「医療は患者と医療従事者の共同の営み」である。
私たちはこの視点を、日常の活動で貫いてきた。
民主的集団医療 患者の立場に立つ医療の実現のために
医師・看護師をはじめ、全職種参加による民主的な集団医療をすすめている。
あらゆる活動を友の会とともに 住みやすいまちづくりを
「安心して住み続けられるまちづくり」は、全道の友の会会員と職員の共通した目標である。
北海道民医連の医師養成
中央病院、一条通病院の、二つの臨床研修病院を拠点に、地域に密着した医師養成がすすめられている。
道民医連の地域医療活動
「道民医連の地域医療活動」に10人の自治体首長(くびちょう)から、期待がよせられた。
市立根室病院の存続の危機に、オール根室が立ち上がった。
道東勤医協・ねむろ医院と友の会がその一翼を担っている。
医療不足問題を考える 医療者と道民のつどい
昨年11月には、医師不足をテーマに、「医療者と道民のつどい」がひらかれた。今、地域医療を守ろうと、国民の共同した運動が広がっている。
民医連の運動実る
民医連の看護師らによる「100万人署名」が、国会を動かした。
今、無差別・平等の医療の原点にたって
「無差別・平等の医療」を掲げ たたかってきた民医連の役割が、今ほど求められている時はない。
秋の大運動 全道で1万6千件の地域訪問
昨年秋、全道の職員が地域に出かけ、1万6千件を訪問した。十勝では餓死寸前の患者を救った。
困難なひとびとの よりどころに
私たちは、これからも 困難な人々の「よりどころ」になる院所・事業所であり続けたい。
道内初 差額をとらないホスピス病棟がオープン
昨年9月、勤医協中央病院にホスピスケア病棟がオープンした。
道内で初めて、差額をとらないホスピス病棟である。
「地域の中で50年あまり、住民の生命(いのち)と健康を守るために、差額室料もとらずに奮闘している皆さんの活動にサーベイヤー一同、感動いたしました。」
これは札幌病院が医療機能評価を受けた際の、講評の言葉である。
この歩みを未来へ
民主的医療運動の歴史と伝統を受け継ぐ職員が育っている。
「患者さんの笑顔が見たいから」「二度と戦争を起こしたくないから」…
未来を見つめる青年たちの目と、人を幸せにさせる笑顔は、私たち民医連の誇りであり、大きな財産である。