北海道民医連の紹介

第2次世界大戦後、荒廃した地域の中で、医療に恵まれない人々の要求に応えることを使命として、地域住民のみなさんと医療従事者が力を合わせ、無差別・平等の医療実践をめざし、民主的な医療機関が全国各地につくられました。1953年、全日本民主医療機関連合会(全日本民医連)は、これらの連合会として結成されました。北海道でも1978年に、北海道民主医療機関連合会(北海道民医連)が結成され、以後、半世紀にわたり、地域のみなさんに支えられ、私たちは活動してきました。

私たちは、みなさんのいのちと健康を守り、無差別・平等の医療・介護を実践します。

私たちは、みなさんのいのちと健康を守り、無差別・平等の医療・介護を実践します。

私たちは、みなさんのいのちと健康を守り、無差別・平等の医療・介護を実践します。

北海道民医連は、全道各地の民医連加盟院所の連合体です。札幌をはじめ、苫小牧、旭川、函館、釧路、帯広、北見に9病院、診療所33か所、歯科診療所5か所、保険薬局15か所、特別養護老人ホーム2か所、老人保険施設4か所をはじめ、全道各地で医療、介護、福祉事業を展開しています。予防・健診活動、救急医療、慢性疾患、慢性期医療、リハビリテーションそして、介護事業に取り組んでいます。

小市健一会長の写真
会長 黒川 聰則

また私たちは、地震や台風などの災害時の支援活動、アスベストやじん肺などの労災、職業病に関するとりくみ、薬害問題など、地域のみなさん、広範な医療、介護従事者のみなさんとともに活動しています。現在、全道の民医連院所、事業所には約6000名の職員が働いています。


いま、地域の中では貧困、格差が拡大し、必要な医療・介護を受けられない深刻な事態が広がっています。私たちは、無差別・平等の医療・介護の実践、日本国憲法第25条(生存権)を守り育てながら、「誰もが安心していつでもどこでも医療、介護が受けられる」地域、まちづくりにとりくみます。


私たちは、いのちの守り手として多くのいのちを奪う核兵器をはじめとする戦争政策に反対するとともに、憲法9条を守る運動に積極的に取り組みます。


北海道民医連をよろしくお願いいたします。

北海道民医連結成30周年を迎えて

北海道民医連結成30周年を迎えて

北海道民医連結成30周年を迎えて

2008.1.29  元会長 中井 秀紀

 

 

 

今年、2008年は北海道民医連結成30周年となりました。
30年前の、1978年1月29日、29年間続いた、北海道勤医協単独法人の歴史を受け継ぎ、旭川、函館、釧路に新しい勤医協が設立されたのを機に、4医療法人、20事業所(2病院,17診療所、1准看護学院)で北海道民医連が結成されました。
結成された当時の医療状況は、1960年代後半からの国民的運動で実現した、老人医療費無料化、健康保険本人10割給付、診療報酬引き上げ(9.6%)、医科大学新設による医学部定員数の倍加などが実現していた時期でした。しかし、健保本人10割給付の廃止などを盛り込んだ健康保険法改悪案の提出に見られるように、当時の自民党政権によるまき返しが画策されていました。大きな反対運動によって廃案にはなりましたが、社会保障制度にたいして、国から見直し攻撃が開始され、80年代の全面攻撃につながる中にあって、何とか踏みとどまっていた時代でした。
その当時の北海道勤医協はセンター病院である中央病院建設をやりあげ、新しく設立された道北、道南、道東勤医協は設立運動と資金結集など地域に根ざして急速に活動を強化しました。医師をはじめとした人材確保も比較的順調で、医療技術の発展と事業拡大が可能でしたが、それを支えたのは医療改悪反対運動でも、地域医療を良くする活動や、設立運動の中心となった友の会組織でした。

 

結成10周年の1988年当時は、中曽根内閣の第二臨調路線により社会保障全般が後退させられ、とくに医療では、診療報酬の引き下げ、老人医療費の有料化、健保本人の1割負担、地域医療計画によるベッド規制など、いわゆる「中間報告路線」と高齢者福祉を後退させた「ゴールドプラン」がスタートした時期でした。
  それに抗して、北海道勤医協では苫小牧病院、丘珠病院、北区病院、西区病院が、3つの法人では拠点となる旭川一条通病院、函館稜北病院、釧路協立病院などを連続的に建設を成功させ、新しく5番目の医療法人として十勝勤医協帯広医院が86年にオープンしました。10周年記念事業として「北海道民医連医師集団の歩み」が刊行されました。

 

20周年にあたる1998年当時は、前年に「橋本内閣6大改革」の1つとして、健保本人2割負担と消費税率5%へのひきあげが、国民的な反対の声を無視して強行され、日本の医療制度の優点とされていたアクセスの良さ、平等性が失われようとしていました。

2000年には介護保険が実施され、民医連も介護福祉分野にもウイングを広げていくことになり、全体として「医療・経営構造の転換」を積極的に推し進めていきました。1994年オホーツク勤医協、北見医院が開設され、全道6圏域にすべてに民医連院所を建設するという「全道展開」は1970年に構想が決来24年目で一応の完成をみました。

 

30周年を迎えた現在、全道の「医療6圏域」に、18法人、106事業所となり、事業内容も、医療・歯科はもとより、介護施設、保険薬局、福祉施設など多岐にわたり発展し続けています。
しかし、その発展は私たちの力だけで到達できたものではありません。医師配置が困難を極めた2001年からは全国の民医連から2名の医師支援を受けました、現在も整形外科医師支援を受けて、日常診療を継続させています。また、最近の北海道勤医協の経営危機に際しましても、全国の仲間や、全道の職員や友の会員から「北海道勤医協基金」がよせられ、危機を脱しつつあります。全日本民医連や全道各地の友の会の連帯と支援抜きには語れません。

 

さて、全国で深刻な医療崩壊が進行しています、特に北海道では札幌など一部の地域を除いて、医療供給体制が弱体化し、地域医療をささえている公的医療機関のほとんどが医師・看護師不足、経営困難に陥っており、産科・小児科医に加えて内科医不足も深刻で、夜間・救急医療も遠隔地の基幹病院まで足を運ばなければならないなど、地域の医療医療機能が維持できなくなっています。

また、医療・介護を受ける側の国民も、高くて払えない国民健康保険料の滞納世帯が500万世帯に迫り、短期証・資格証明書の発行は190万世帯にも増加し、保険証とりあげにより受診が抑制され、手遅れになった事例も生まれています。
医療の崩壊は、地方自治体の財政悪化と同時に進行しています。その背景には、構造改革の名の下に歴代自民党政権が推し進めた、社会保障費削減、医療費抑制政策や、「地域リストラ政策」(地方交付金削減)があります。
現在の医療崩壊を前にして、多くの医師や著名人が「現在の医療危機は、医療費抑制政策と絶対的医師不足によるもの」と発言し、マスコミの論調も変化しつつあります。「医師・看護師増やせ!国民医療を守れ」の運動が各地で開かれ、医療関係者や住民の参加に加えて、与野党国会議員・地方議員の参加やメッセージが多数寄せられ、状況の変化も顕著になっています。

 

新自由主義的「構造改革」をかかげた小泉内閣の5年間は、医療にとどまらず、社会保障全般の改悪をすすめました。その結果、ワーキングプアに象徴される、格差の拡大と100万世帯を超えた生活保護世帯、それ以下の収入で暮らしいている貧困層の増大をもたらし、社会保障のセイフティーネット機能が失われつつあります。今こそ憲法で保障された生存権を守る運動を、燎原の火のごとく広がっている「9条の会」の平和を守る運動と連動させ「憲法9条と25条をまもる」国民的運動に広げなければなりません。

 

平和も社会保障の充実も運動によって、闘い取らなければ実現しないことは歴史が教えています。
私的医療機関である民医連でも、医師不足、医療・介護経営の困難は年々厳しくなっており、問題解決の視点が「内向き」になりがちですが、そういうときにこそ医療情勢をふまえて、困難の内容を整理して、全職員とくに医師集団に率直に問題提起すべきと思います。新しい困難を全役職員が一丸となり、友の会や地域住民と協力してうちやぶり、民医連内外の医療機関との連携をいっそう強化し、それぞれの事業所の地域でのポジションニングをしっかり固め、それに見合った医療・介護活動方針を実践することが求められています。
民医連の伝統である、社会保障拡充の運動を『民医連運動のたましい』として戦い貫くことが、更なる未来の発展につながることを確信し、今後とも奮闘する決意です。

 

2008年1月26日北海道民医連結成30周年記念祝賀会会長挨拶より抜粋