ムーヴメント
政府は核の傘に依存するな
ノーベル平和賞 日本被団協・田中熙巳氏の講演から
ノーベル平和賞 日本被団協・田中熙巳氏の講演から

昨年ノーベル平和賞を受賞した日本被団協(原水爆被害者団体協議会)の田中熙巳てるみ代表委員が5月24日に札幌市内で講演し、授賞式でのスピーチに込めた思いを語りました。要旨を紹介します(要約は編集部)。
日本被団協がノーベル平和賞を受賞したことで、多くの方々からお祝いの言葉をいただきました。しかし、祝福を共に喜びたかったかった被爆者たちの多くは、すでにこの世を去っています。もし彼らが生きていたら、どんなに受賞を喜んだことでしょう。そのことが本当に残念でなりません。本来であれば感謝すべき受賞ですが、「もっと早く受賞していれば」と思わずにはいられません。
実は1985年から、日本被団協はノーベル平和賞の候補になっていました。それから5年ごとに有力候補として名前があがっていたという情報が漏れ伝わっていました。しかし、2007年ごろから、国際的に優れた政治家や運動家たちが集まって核兵器禁止条約をつくらせる運動が始まりました。そして実際に10年かけて実を結び、2017年に核兵器禁止条約が成立しました。同年、ノーベル委員会はICAN(核兵器廃絶国際キャンペーン)に平和賞を授与しました。次は日本被団協の番だと思ったのですが、ICANだけで終わってしまい、正直がっかりしました。しかし、ICANの受賞は日本被団協の受賞でもあると、あちこちで語ってきました。
もう日本被団協の受賞はないと思っていたので、昨年12月11日のノーベル平和賞発表日には、役員の誰一人として記者会見の準備をしていませんでした。ちょうど前日に被爆者の中央行動があってノーベル賞のことを意識しておらず、近所のスーパーで買い物をしていたんです。すると、「今どこにいますか? すぐに家に帰ってテレビをつけてください」と電話がありました。「何事ですか?」と聞くと、「日本被団協がノーベル賞をもらいましたよ」と。私は「いや、そんなことはないでしょう」と返しましたが、「本当です」と言われて急いで帰りました。家の前はすでに記者の車でいっぱいになっていました。
では、なぜ受賞できたのか。受賞理由が書かれた文書にはこうありました。「被爆者たちが証言を続けてきたことで、『核のタブー』が世界中に築かれた。しかし、今それが壊されようとしている。壊されないように、運動を大きくしていこう」。この言葉を読み、私は「核廃絶運動をさらに大きくするために、被爆者にエールを送っているのだ」と感じました。
受賞理由の中には「核のタブー」という言葉が何度か出てきます。これは、「核兵器は道義的に絶対に使ってはならない」という意味です。今、ロシアがウクライナに侵攻し、核兵器を使う危険性が高まっています。5千発もの核兵器を保有する大国の大統領が世界を脅している、非常に危険な状況です。だからこそノーベル委員会は、「核兵器に断固反対する」という立場を明確に示したのだと思います。
推薦文には「被爆者は高齢のため、やがていなくなる」とも書かれていました。まさにその通りです。そしてさらに、「これまで被爆者が築いてきた運動を、若い世代が引き継ごうとしている。その動きにも期待したい」とありました。日本被団協の受賞には、世界中の若い世代に対して「しっかりと頑張ってほしい」というメッセージが込められていると感じています。
受賞後の講演でも、私は若い人たちに期待していると話しました。しかし今のところ、若者による新たな核廃絶運動が本格的に始まっているとは言い難い状況です。ですから、ぜひみなさんにも頑張っていただきたい。札幌を運動の出発点にしていきましょう。
「被爆者の証言を引き継ぐ」とよく言われますが、被爆者はそれぞれが生きた時代の中で、懸命に証言してきました。これから運動を担う若い人たちは、私たちとはまったく異なる時代を生きています。「運動の仕方を教えてください」と聞かれることもありますが、私たちが経験から語れることはあっても、そのままみなさんに通用するとは限りません。だからこそ、「どうすれば核兵器をなくせるか」「どうすれば使わせないようにできるか」は、これからの世代が自ら考え、行動していくしかないのです。
ノルウェーの国にとっても、ノーベル平和賞は重要な事業です。日本被団協はその国家的事業に招かれ、代表として参加することになります。誰がノルウェーに行くのかを話し合い、広島・長崎の代表と、私の3人で行くことになりました。賞状とメダルを広島と長崎の代表が受け取り、私はスピーチを担当しました。
スピーチには20分間が与えられており、原稿の準備は非常に大変でした。ノーベル委員会からは「この原稿は公式記録として残るため、ただ読み上げるためのものではダメだ」と言われ、非常に緊張しながら原稿を作成しました。
まず、日本被団協の紹介をしました。私たちの目標と要求、それを実現するためにどのような活動をしてきたかを述べました。私たちの基本的な要求のひとつは、「国の責任で被害者を救援すること」。もうひとつは、「非人道的な核兵器を絶対に使用させないこと」です。この2つを柱として活動してきたことを話しました。
そして、核兵器による被害を知ってほしいとの思いから、私自身と家族が体験した悲惨な被爆体験を紹介しました。その後、私たちの要求がどのように実現されたかについても述べました。政府に法律をつくらせ、その法律に基づいて援護が実現していきました。しかし、原爆で犠牲になった方の家族に対する償いや救済は、十分ではなかったことが残念でなりません。
スピーチでは、原稿にない言葉も加えました。
《もう一度繰り返します。原爆で亡くなった死者に対する償いは、日本政府は全くしていないという事実をお知りいただきたい》。
この言葉には大きな反響がありました。原爆の犠牲になった方々や、反核運動に尽力して亡くなった人々の魂が、私に乗り移ってあの発言をさせたのだと感じています。
もうひとつ強く訴えたのは、「核兵器を地球上からなくす」ということです。この目標の実現は簡単ではありません。日本国内だけの運動では不十分です。私たちが体験した、見るも無惨な殺戮兵器である核兵器は、絶対にこの地球上に残してはいけません。これは、私たちの切実な思いです。なんとしても、世界が核廃絶を実現してほしい。「核兵器を使ってはいけない。作っても、持ってもいけない」。この考えを国連の条約として確立することを大きな運動の柱に、国内外で被害を訴え続けてきました。
2017年、核兵器を全面的に違法とする「核兵器禁止条約」が国連で採択され、2021年に発効しました。122ヵ国が賛成し、94ヵ国が署名、73ヵ国が批准しました。しかし、唯一の戦争被爆国である日本政府は、この条約に署名も批准もしていません。アメリカが条約に反対し、日本が「核の傘」に依存しているからです。
最後に、私はスピーチで「被爆者の証言を世界中に広めて、核廃絶のために役立ててほしい」と述べ、20分の時間内にどうにかまとめました。
今の若い人たちは、デジタル社会の中でとても忙しい毎日を過ごしていると思います。しかし、グローバル社会でもあります。その利点を活かして、核廃絶の運動を世界に広げていってほしい。今回のノーベル平和賞の受賞を機に、もっともっと力強い運動を築き上げていきたいと心から願っています。