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水俣病は終わっていない

2025年7月11日

「人権としての社保セミナー」第1クール開催
現場で学ぶ認定・補償・差別の現実

「人権としての社保セミナー」第1クール開催
現場で学ぶ認定・補償・差別の現実

 全日本民医連は、社会保障と人権の重要性を学ぶ「人権としての社保セミナー」を毎年開催しています。今年の第1クールは6月9~11日、熊本県出水市と鹿児島県水俣市で行われ、全国から38人が参加しました。北海道道民医連の岸上利光さん(社保・広報部)が報告します。


 セミナーのテーマである「水俣病」は、1950年代に熊本県水俣市で発生した公害病です。化学製品を製造していたチッソ株式会社(現在のJNC)水俣工場が、メチル水銀を含む排水を河川に流し、不知火しらぬい湾一帯を汚染。魚介類を食べた多くの住民が発症し、1800人を超える方が亡くなっています。


 初日には、不知火患者会事務局長の元島一朗さん(元くわみず病院事務長)が、水俣病の歴史や裁判の経過を解説しました。当時、患者を診察したこともない医師が「水俣病ではない」と証言した事例などを紹介し、患者のための医療が行われていなかった現実を指摘しました。

 続いて、一般社団法人「きぼう・未来・水俣」代表理事の加藤タケ子さんと、胎児性患者のAさんが、差別を受けてきたことや身体の状態、補償制度の問題など、水俣病患者の実情を語りました。

 1957年から病気の原因究明が本格化し、有機水銀が原因であると判明しましたが、チッソ社はそれを否定し、排水を続けました。加藤さんは「もし原因が判明したときすぐに排水を止めていれば、被害拡大は防げたはず。そう思うと悔しい」と語ります。またAさんは、病気のために幼いころから親元を離れて暮らさなければならなかった経験を振り返り、「いつも寂しくて、親と一緒に暮らしたかった」と話しました。


 2日目は、熊本民医連・水俣協立病院の松本幸美総看護師長が、診療報酬の対象外だった時代に、訪問看護で在宅療養を支え、健康診断などを通じて水俣病の症状がある人を医療につなげてきた実践を紹介しました。

 その後、バスで水俣市内を巡り、水俣病に関係する場所を訪れました。チッソ社の正面玄関の向かいには、水俣協立病院が建ち、まるで対峙するかのようです。自分の病の原因となった企業のすぐそばで受診する患者の思いを想像し、胸が熱くなりました。

 講義の後にはグループワークが行われ、それぞれが感想や気づいた点を模造紙にまとめて共有しました。

 今回の学びを通じて、水俣病は「過去の公害」ではなく、今も続く人権問題・社会問題であることを実感しました。認定制度の見直し、被害者への補償と医療の充実、地域の再生、そして歴史の継承など、今も多くの課題が残されていると感じました。

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