ムーヴメント
核廃絶に向け決意新た
戦後80年目の原水禁世界大会ひらく 全道から91人が長崎へ
戦後80年目の原水禁世界大会ひらく 全道から91人が長崎へ

被爆80年の節目、日本被団協のノーベル平和賞受賞で国内外から注目を集める中、原水爆禁止世界大会が8月7〜9日、長崎市内で開かれました。北海道からは民医連職員30人を含む91人が参加。広島でも大会が開かれ、オンライン視聴を含め全国でのべ1万3千人が参加しました。(岸上利光・県連事務局)
開会行事直前の7日午前に北海道代表団の結団式を開催。「平和行進に参加して、世界大会にも行きたいと思った」「平和パネル展を手伝ううちに参加したくなった」など、多くの方が職場や地域での活動を通じて参加を決意したといいます。
道南勤医協函館稜北病院からはリハビリ科1年目の職員が参加。大津瑞希さんは、「職場で核兵器禁止の運動をしているときに誘われて参加を決意しました」。相馬鈴奈さんは「大会の存在も知りませんでしたが、先輩に声をかけられ、戦争体験を聞く中で核廃絶の重要性を強く感じました」と話しました。
結団式では日本被団協代表理事の横山照子さんが、4歳で被爆した体験や妹が病と差別の中で短い生涯を送ったことを語りました。 「父は体が腫れ上がり、妹は44年の生涯をほぼ病院と自宅で過ごした。妹から『私は何重苦だろう、何の罰を受けているのだろう』と言われ、胸がつぶれそうでした」と振り返りました。また、ノーベル平和賞授賞式でかけられた「あなた方は決してあきらめなかった。抵抗する象徴、光なのです」という言葉が何よりうれしかったと述べました。
横山さんの証言を聞いた参加者は、「被爆者が結婚のときに差別された話に衝撃を受けた」「被爆から10年間は何の補償もなかったことを初めて知った」と感想を話しました。
北海道代表団の約3割が10〜20代でした。道立上ノ国高校では地域と学校が協力し、署名や千羽鶴、募金で代表を送り出しました。他校でも生徒会や教員が協力して資金を集めています。
民医連にこの春入職した職員も多く参加しました。原爆資料館を訪れた新入職員は「熱線で変形した日用品や焼け焦げた衣服を見て当時を想像し、言葉を失った」「何度も感情的になり、呼吸することも難しくなった」と話しました。
函館稜北病院の大津さんは「暴力と暴力による争いではなく、核兵器を持たないと決意することの大切さを学びました。諦めずに行動を続けたい」。相馬さんは「実際に体験談を聞くことは動画視聴とは熱量が違った。今回学んだことを地元の人に伝えたい」と語りました。他の参加者からも、「分科会のディスカッションに参加して、身近な差別から分断が生まれ、戦争を招くことを学んだ。『今日の聞き手は明日の語り手』の言葉を胸に活動していきたい」「核廃絶は理想論ではなく、行動によって近づける大きな目標。責任をもって被爆者の願いを次世代に伝えていきたい」などの感想や決意が寄せられました。今後、それぞれの職場や地域で報告会を開催し、核廃絶の思いを共有するとりくみを広げていきます。