ムーヴメント

「あの日」消えることない

2026年2月27日

3・1ビキニデー北海道集会ひらく

3・1ビキニデー北海道集会ひらく

被爆体験を語る児玉さん

 「3・1ビキニデー北海道集会」が2月4日、札幌市内で開催され、約70人が参加。原爆や水爆実験による犠牲者を悼むとともに、世界的に広がる軍拡競争や「核抑止」にストップをかけるための行動を決意しあいました。


 集会では、一昨年ノーベル平和賞を受けた日本被団協の児玉三智子さんが被爆体験を語りました。広島に住んでいた児玉さんは、7歳のときに爆心地から3・5㌖の地で被爆。窓ガラスの破片が体に刺さるなど負傷しましたが、「自宅へ帰る途中に目にした人たちの姿は今も忘れない」と話します。皮膚が焼けただれ飛び出した内臓を抱えた人、炭のように焼け焦げた赤ちゃんを抱える人、「水を下さい」とすがりつく人たちに自分は何もできなかったといいます。

 「奇跡的に生きのびた被爆者は、自分だけが生き残ったという罪悪感に苛さいなまれ、81年を経た今でも『あの日』が消えることはない」と、深い思いを込めて語りました。

 また、昨年11月に日本被団協がおこなった「核禁条約参加について」の国会議員アンケートに、自民党議員が一人も回答しなかったことを厳しく批判しました。

 集会の最後に参加者全員で「平和への願い」を読み上げ、アメリカの核戦略に依存し核禁条約参加に背を向け続ける日本政府を批判するとともに、世界すべての核廃絶と被害者への補償実現を求めました。「願い」は高市首相に届けられます。


 72年前の1954年3月1日、アメリカは太平洋のビキニ環礁で水爆実験を行い、マーシャル諸島の島民や操業していた多くの漁船が被災しました。静岡のマグロ漁船「第五福竜丸」もその1つで、乗組員23人が被爆。約半年後、無線長だった久保山愛吉さんが亡くなりました。久保山さんが遺した「原水爆の被害者は私を最後にしてほしい」という言葉が、「核兵器のない世界」を求める運動として広がるきっかけになりました。

 今年の「3・1ビキニデー全国集会」は2月27日から3日間、静岡県で開催され、北海道からは民医連の代表を含む4人が参加する予定です。


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