ムーヴメント
怒りが生んだ反核運動
解説「3・1ビキニデー」とは?
解説「3・1ビキニデー」とは?
毎年3月1日、静岡県を中心に全国で核兵器廃絶を求める集会が行われています。その歴史を解説します。
72年前の1954年3月1日、アメリカは太平洋のビキニ環礁で水爆「ブラボー」の実験を行いました。その破壊力は広島に落とされた原爆の千倍で、マーシャル諸島の島民や操業していた多くの漁船が被災しました。静岡県焼津市のマグロ漁船「第五福竜丸」もそのひとつで、乗組員23人が被爆。半年後、無線長だった久保山愛吉さん(40歳)が亡くなりました。
アメリカは1946年から58年まで67回もの核実験を行い、島民にはガンや甲状腺異常、死産や先天的障害を持つ子どもが生まれるなどの被害が現れています。「負の世界遺産」と呼ばれるビキニ環礁には、今も住民が帰還できない状況が続いています。
戦後の核実験に対して、日本政府は抗議しませんでした。しかし第五福竜丸の事件後、水揚げした魚から放射能が検出されたことなどで不安と怒りを感じた女性たちが核実験反対の署名運動に立ち上がりました。
東京築地市場では客足が遠のいた魚商、すし業者の代表500人が「水爆対策市場大会」をひらき、原水爆の禁止と被害補償を求めて署名活動にとりくみました。全国に広がった署名は全国民の37%(3259万人)から集まり、翌年8月には広島で初めての「原水爆禁止世界大会」が開かれるなど、今日の核兵器反対運動につながっています。
久保山さんは、「原水爆の被害者は私を最後にしてほしい」という言葉を遺して亡くなりました。米日政府間交渉による見舞金支払いで事件は幕引きされます。被害を受けた乗組員らが受けた高額の見舞金は羨望や妬みを生み、貧しい漁業のまちを分断し「差別」の原因にもなりました。
NHK連続テレビ小説「ばけばけ」のモデルになった小泉八雲(ラフカディオ・ハーン)は焼津の海を気に入り、夏は家族とともに浜辺で過ごしました。それから50年後、長男の一雄さんは久保山さんの訃報に接し、遺族に手紙を送りました。「亡き父八雲が生前最も愛した焼津のお方が、前代未聞の惨虐なる実験の犠牲者となられたこと、憤慨に耐えません。私の息子も久保山氏と同じ無線技士です。お哀しみ申し上げます」(要約)。
今年も2月27日~3月1日に静岡県で「3・1ビキニデー全国集会」と久保山さん墓参行進が行われました。集会では、核兵器禁止条約の締結を求める運動や被爆体験を若い世代に語り継ぐとりくみなどが報告されました。札幌南高校定時制の生徒らも焼津を訪れ、ビキニ被ばくの朗読劇を準備しています。
いま、アメリカは軍事攻撃による「力の支配」を強めています。国内では、高市政権による日米同盟の強化と敵基地攻撃能力の整備、武器輸出の解禁などにより、軍需産業が急拡大しています。各自治体は基地との共存・連携姿勢を強め、愛知県では三菱重工小牧北工場で長射程ミサイル製造が進んでいます。
大国を中心とした核抑止力競争が過熱する中、「核のない地球と『戦争NO』を求める」世界の人々と連帯した行動がますます重要になっています。