読み物

私と憲法 身近な戦争体験

2018年4月12日

母の叔父の最期
北海道民医連 高崎知哉

 昨年末、私の母に戦争のことを聞いた。初めてのことであった。
 母は、シベリアから帰還した父の傍にしばらく近寄ることができなかったという。その父は亡くなるまで、戦争のことを一切話さなかった。「話さなかったのではなく話せなかったのだろう」と、母はタンスから冊子を取り出し、「あんたにははじめて話すんだけど…」と、私に差し出した。
 表紙に墨で「故 陸軍軍曹 尾崎正治の戦闘詳報」と書かれている。母の旧姓は尾崎。尾崎正治は母の叔父である。



 大音響とともに砲弾の破片が入口から飛び込み、軽機関銃を握っていた尾崎正治伍長の背中に命中した。低い唸り声を発してうつ伏せになった尾崎伍長は「大丈夫です」と軽機関銃を握り直した。尾崎伍長の左背部からは、紅の血潮が噴き出し、滴り落ちていた。
 小隊長は咄嗟に尾崎伍長の襦袢を引き裂き傷口に押し当て、三角巾で強く結んだ。衛生兵を呼び、防空壕で傷の手当てを命じた。
 暫くして陣地に戻った衛生兵が「破片の盲貫です。血は止まりましたから死ぬようなことはないと思います」と言い終わった瞬間、防空壕の方向で鈍い爆発音がした。飛び出した衛生兵が再び陣地に戻って「尾崎伍長が自爆しました」と呟くような声で小隊長に報告した。
 傷の痛みに耐えかねたのであろうか? いや決してそうではない。戦友の足手まといになることを恐れて、彼は着火した手榴弾を腹の下へ抱え込んだのだ。「許せ尾崎、この仇は必ずとるからな」と固く心の中で誓い、合掌した。
 壕の外は激しかった銃声音や舟艇の騒音も止んで、南国の陽光が照りつけていた。足元の白い珊瑚礁の上に、ひと条の桜色の紐が尾崎伍長の亡骸まで続いていた。その桜色の紐を鉄帽の中へ掬い上げながら小隊長は、人間の腸がこんなにも長く、こんなにも美しいのかと、流れ落ちる涙を拭うことも忘れて、しばらくその場に佇んでいた。



 母の伯父が戦争によって命を失ったときの様子だ。さまざまな人を巻き込む戦争の惨さ、悲しさを痛切に感じ、語り継ぐことが必要だと改めて感じた。

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