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道南勤医協八雲ユーラップ医院 熱き思い40年の夢を実現

2018年5月17日

北海道民医連40周年企画 民医連ヒストリア

農協の建物の一部が八雲ユーラップ医院

 1978年に誕生した北海道民医連は今年40周年を迎えました。記念として、全道の院所・事業所のルーツを探る企画をシリーズで紹介します。第2弾は道南勤医協・八雲ユーラップ医院です。

 

 「八雲ユーラップ医院は、約40年間にわたる地域住民の民主的医療への強い要望と地域友の会、社員、職員が一体となった建設運動のもと、1993年10月に開院することができました」
 1994年の北海道民医連第15回定期総会に参加した道南勤医協の代議員の発言です。1976年の道南勤医協設立のはるか以前、八雲ユーラップ医院の開院は、その40年前、1950年代からの地域の人々の念願でした。


「民主的診療所を」
建設運動前に潰され
 八雲友の会の初代会長、三浦光夫さんは道南勤医協の20周年(1996年)にあたり、青年職員にこう話しています。
 「1950年頃、八雲には農家が約800戸あったのですが、外科と内科、産婦人科の病院しかなく、多くの人は医療に不便を感じていました。部屋の布団は万年床という生活状況。病原菌の寄生虫による疾患が発生していて衛生状態が悪かった。小児麻痺も出始めていました。農家の人でもカボチャしか食べられない、そんなひどい生活でした。『黒松内のような民主的な診療所が八雲にもできないか』と話しあっていました」
 その当時、地域の医療を担っていた基幹病院は、診療費の水増し徴収や薬品管理の不正などのうわさもあり、住民から信頼されていませんでした。そこで、民主診療所に賛同していた医師や薬剤師、事務らと建設運動の準備をすすめようとしていました。しかし、レッドパージにより関係者が追放され、建設運動の前につぶされました。三浦さんはその無念の思いを伝えています。


道南勤医協設立と
八雲での検診活動
 八雲での民主診療所の夢はついえたように思えましたが、1976年に道南勤医協が設立されると大きく変わりました。道南地方は函労会議に結集する労働組合の運動をはじめ、農漁民、中小業者等の住民運動が盛んで、働く者の立場に立つ民主的な医療機関の設立は共通の願いでした。地元の人々の建設運動でできた函館診療所は畑中恒人医師を中心に、労災職業病や訪問看護、漁民健診で民医連の力を大きく発揮し、平和や社会保障を守るとりくみによって地域の信頼をいっそう高めました。
 1980年7月に道南勤医協と八雲農協労組が協力して、八雲農協の協賛で八雲酪農民の健康実態調査を実施したことは大きな話題となりました。八雲の人々は「少しも偉ぶらずいっしょに農家を走り回る白衣姿」の民医連医師たちを驚きと尊敬の念で迎えました。
 漁民検診も定期的に実施しました。漁業だけでは生活ができない人が多く、閑散期にはトンネルなど建設作業員として従事しなければなりませんでした。そのため、じん肺や振動病などの労災職業病にかかり、治療のために函館まで1時間半をかけて乗り合いで通院する人もいました。こうした状況の中で、道南勤医協・函館稜北病院が1981年にオープンしました。


八雲に建設運動再び
 それから4年後の1985年、八雲友の会が23世帯33人で結成されました。「民主的な診療所を八雲につくる」を合言葉に、友の会員は2年後に400人、1990年には700人を超えました。ついには人口比1割を超える約2000人の大組織に成長しました。その陰には、昼夜を分かたずに健康相談会や健診活動の中心となってとりくんだ初代会長の三浦さんをはじめとする役員の奮闘と、八雲の住民たちの熱い期待の思いがありました。
 道南の3つの二次医療圏すべてに民医連の旗を掲げることをめざした道南勤医協は、1992年の社員総会で八雲新診療所建設を決定しました。まもなく八雲農協から、八雲駅近くの店舗跡地を賃貸したいとの申し出がありました。12年前の酪農民健康調査以来、農協組合員の、道南勤医協に寄せられた信頼があっての申し出でした。
 その後、右翼の黒塗り街宣車が1ヵ月間も農協前に押しかけ「農協は道南勤医協に貸すな」と妨害しました。しかし、農民との信頼関係、2000人近い地元友の会や住民の支持を得て、農協との調印にこぎつけました。
 開院直前に、北海道南西沖地震が奥尻、檜山地方を襲います。道南勤医協は、地域の社員・友の会や北海道民医連とともに救援活動にとりくみました。
 友の会役員だった加藤キクミさんは、「地域の食堂の2階や公民館を使って毎月例会を開いて話し合いました。毎月100円の会費を集めに、一軒ずつ訪問していました」と当時を振り返ります。竹浜俊一さんは、「近所の商店から往診のための乗用車の無償提供など、地域の人たちからあたたかい支援がありました」と感謝しています。


地域医療の砦として
 「ユーラップ」はアイヌ語で「温泉の流れる川」を意味し、ユーラップ川やユーラップ岳が北渡島桧山の人々に親しまれています。その名前を新しい診療所につけることにしました。
 現在、国立八雲病院の機能を札幌と函館に移転する問題で大きく揺れています。多くの患者、住民から反対や危惧の声があがる中、当局は一方的にすすめようとしており、患者・住民の間には不安が広がっています。彦野芳樹事務長は、「私たちは地域医療を守るため反対の声をあげるとともに、長年にわたる運動で医院開設を実現した人々の思いを受け継ぎ、北渡島檜山で地域医療の砦として頑張りたい」と語ります。

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