読み物

民医連ヒストリア 北見の医療を変えてほしい

2020年2月13日

オホーツク勤医協の誕生

1993年4月18日 オホーツク勤医協設立総会

 「患者は、医師に頭をさげるだけ。『診てやる、診ていただく』という関係でした。そのとき札幌の勤医協に出会い、私たちの地域に必要だと感じました」と北見市の長谷川充子さん(74)は話します。地域の人たちは友の会を組織して「オホーツクに勤医協を」と願っていました。それは、北海道勤医協、道民医連職員の夢でもありました。(渋谷真樹・県連事務局)

 

 北海道勤医協は1970年、全道に医療機関を展開する「第一次5ヵ年計画」を立て、75年に道北勤医協を設立。その建設運動にはオホーツク管内の人々も協力し、78年には道北勤医協北見友の会が誕生しました。
 長谷川さんは障害をもつ子どもをつれて、医師に指示された検査のために北見市内や札幌の病院に通いました。あるとき札幌の勤医協に行くと、先生が『大変でしたね』と声をかけてくれました。「そのような言葉をかけてくれる医師がいる、そんな病院があることに感激して、救われたような思いがしました」とふり返ります。長谷川さんは北見友の会に入り、勤医協の病院を地域につくろうとまわりの人たちに呼びかけました。
 北見に旭川から毎年、医師や看護師が駆けつけ、医療懇談会や健康診断をおこないました。300円で入会すると健診が無料になると誘って、数百人規模の会員を組織します。また、「道北の医療を語る3月集会」を開催して病気や医療制度について学習し、その内容をまとめた冊子を販売するなど財政活動をしました。


「次は絶対に来る」


 76年に道南、道東勤医協が誕生します。78年に北海道民医連を結成し、80年代の「長期計画」で、道内6圏域に法人をつくることを提起。十勝地方とオホーツク地方への法人設立に向けて議論を開始しました。
 当時、北見民主商工会の会長をしていた菅野智さんは、地域の人とともに道民医連の事務所を訪ねて地域の実情を話し、「北見に勤医協の病院を」と陳情しました。「オホーツク地方の医療環境はきわめて立ち遅れていて、病人を『患者』として受け入れてくれる病院が必要でした。私たちは民医連綱領を学んで友の会を組織し、受け入れる準備をしました」と菅野さん。
 長谷川さんは、「十勝が先か、北見が先かという議論になり、待ち望んでいましたが、86年に十勝勤医協が設立されました。そのときは落胆したけれど、次は絶対に来ると信じて友の会員を増やし、『自分たちの病院を作ろう』と建設基金を募りました」と振り返ります。


「最後の法人」医師を先頭に議論


 オホーツク勤医協の開設にはその時期、「地域医療計画」のベッドの状況や医師体制などの課題がありました。道民医連90年代長期計画で、改めてオホーツクに展開する目標が再確認されると、すぐに動いたのは医師集団でした。91年に14人、92年に16人の医師が北見市を訪ね、地域の人々、友の会員と懇談しました。
 参加した医師たちから、「乳幼児医療無料化、老人へのポケットベル給付、ヘルパー増員など運動の苦労を聞かせていただき、民主的医療機関を待ち続けて運動してきた人たちの声に励まされた」「地域の人たちは『勤医協を軸にこの圏内の医療を変えていく』という視点を持っている」「地域には具合が悪くても病院にかかっていない人が多いように思う。早く民医連院所をつくるべきだ」(92年9月・医師委員会ニュース)という意見が寄せられました。
 医師集団は住民たちの熱烈な思いを受けてさらに議論を重ね、92年10月に当時30代半ばの平野浩医師をオホーツク勤医協の理事長候補として推薦しました。
 その動きに呼応して事務集団でも議論がすすめられ、事務幹部に北海道民医連の理事をしていた横山英生さん、道北勤医協から能登谷繁さんを派遣することを決めました。
 さっそく北見市内に設立準備事務所をつくり、オホーツクの全市町村に友の会を組織しようと駆け回りました。平野医師は札幌から108回通って医療懇談会をおこない、オホーツク管内を巡りました。事務所には横山さん、能登谷さんのほか、北見市の村口官三さんが常駐して土地に不慣れな2人を案内しました。
 横山さんは全道の法人設立に関わってきた先輩たちから、職員や友の会員の組織づくり、地元の病院や医師会との関係づくりについてノウハウを教わったといいます。「これまで法人設立の際は準備事務所をつくることも難しかったと聞きました。先輩方が経験を積み上げてくれたおかげで、私たちはスムーズに事をすすめることができました。病院の候補地選びは北見民商の那須実さんが尽力してくれました。村口さんと那須さんは亡くなりましたが、本当に支えていただきました」と感謝します。


地域全体で医療サービス向上


 93年4月18日、ついに「オホーツク勤労者医療協会」を設立しました。同時に、16年間続いた道北勤医協北見友の会を解散し、オホーツク勤医協友の会として再スタートしました。
 開院に向けて、全道の法人が「オホーツクに民医連の旗を」を合言葉に職員を派遣し、94年5月、北見医院(19床・職員23人)が開院しました。祝賀会には地域から500人、病院見学会に350人が駆けつけるなど、大きな期待が寄せられました。
 長谷川さんは、「やっと願いが実ったという嬉しい思いはもちろんですが、それ以上に、地域全体の医療サービスが向上して他院に通っている患者さんにも良い影響があることを期待しました。自宅で開いた医療懇談会に平野院長が来てくれました。お医者さんが膝を交えてくれるなんて、信じられないことでした」といいます。オホーツク勤医協は、地域の医療に影響を広げていきました。
 北見医院はその後、増築して50床の北見病院になりました。高齢化がすすむ地域のニーズに対応して、居宅介護支援事業所、デイサービス、訪問看護ステーションなどの在宅介護事業を次々に展開。さまざまな困難を乗り越えながらも、現在は200人の職員集団となっています。
 菅野さんは「人材確保が難しく、地域医療は厳しさが増しています。職員のみなさんは頑張っていると思います。戦前からの歴史と民医連綱領をよく学んで、民医連が必要とされている理由と、みなさんの役割を知っていただきたいですね。期待しています」とエールを送ります。

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