現場から

ろうあ利用者が語った旧優生保護法の被害

2025年1月24日

十勝勤医協 居宅支援事業所「白樺」のとりくみ

十勝勤医協 居宅支援事業所「白樺」のとりくみ

ケアマネジャーの高橋さん

 十勝勤医協・居宅介護支援事業所「白樺」を利用している宮永寿子さん(仮名・85歳)は、旧優生保護法の被害者であることがわかりました。ケアマネジャーの高橋香織さんは、宮永さんから当時の状況を聞き取り、同法やろうあ者への差別の歴史を学びました。(渋谷真樹・県連事務局)


 宮永さんは3歳のときに高熱を出してから、耳が聞こえなくなりました。高橋さんが3年前から訪問を開始し、手話通訳者が同行してコミュニケーションをとっています。

 昨年、宮永さんが骨折で入院した際、退院時の看護記録に「断種手術」の記載があり、旧優生保護法の被害者であることが分かりました。高橋さんはインターネットで調べたり、民医連が発行した「旧優生保護法における強制不妊手術問題に対する見解」を読んで学びました。民医連がその対応について謝罪していたことにも驚いたといいます。

 宮永さんは当時の経験を次のように語っています。


 知人から「耳の聞こえない男性と結婚してもらえないだろうか」と言われて、お見合いをしました。彼の生い立ちを聞いて、可哀想だと思って結婚しました。一緒になって間もなく、吐き気がしました。「つわり」というものを知りませんでした。親に呼ばれて、実家に帰らされました。おなかが大きくなった頃、親兄弟だけでなく床屋さんや職場の人からも出産に反対されたことがとても辛かった。

 妊娠から5ヵ月目のときに「検査だから」と言われて、病院に連れて行かれました。私は「赤ちゃんが生まれるのかな」と思って嬉しかったです。手術の前に「子どもは何人ほしい?」と聞かれて「5人!」と答えました。

 注射を打たれて目が覚めると、お腹がへこんで、赤ちゃんはいなくなっていました。「赤ちゃんはダメだ」と言われて、本当にショックで泣きました。お腹に傷ができていました。「その傷は、できものができていたから取ったんだよ」と看護師さんから聞きました。

 その後も子どもができず、中絶と不妊手術を受けたことを親から聞きました。「お前は勉強ができない。社会で自立できない。だから手術した」と言われました。赤ちゃんを殺した。神様が怒る。もう産めない体にされたと思い、本当に辛かった。私は新聞を読んでも分からないから、何の情報もなかった。まわりの人にされるがままで、疑うこともありませんでした。


 昨年7月17日、岸田総理大臣(当時)は旧優生保護法の裁判原告と面会し、政府として謝罪しました。また、被害者に補償金などを支払うと定めました。宮永さんも受け取ることにしましたが、「子や孫もいないし、昨年夫が亡くなって私一人になってしまった。今さらお金をもらってもどうにもならない」と複雑な心境を語っています。


 宮永さんは旧優生保護法だけでなく、ろうあ者として差別や人権侵害を受けてきました。高橋さんは宮永さんから証言を聞き、差別の歴史を学びました。

 1933年、手話を使うことが禁止され、発声するよう指導されました。ろうあ者は「健常者に迷惑をかけず、かわいがられるように」と教えられてきました。手話は「手まね・猿まね」と言われ、手話を使うと罰せられることもありました。手話は手の動きだけでなく、表情や視線などを複合的に使い、筆談よりも多くの情報を伝えることができます。そのためろうあ者は、隠れて友達同士で手話を使っていました。また、1947年までろうあ者は義務教育を受けることができませんでした。当時8歳の宮永さんは教育を受けることができましたが、夫はすでに15歳だったため読み書きができなくなりました。


 宮永さんは今も、相手に迷惑をかけないように自分の希望や思いを伝えず、その場を取り繕って我慢することがたびたびあります。

 高橋さんは、「多くの高齢聴覚障害者が我慢を強いられてきたのだと思います。今回の事例を通じて人権侵害の歴史を学ぶことで、現在では当たり前とされる人権感覚や価値観の中にも、誰かの人権を侵害し続けている可能性があることに気づきました。そのことを意識して行動する必要性があります」と話します。


 高橋さんは旧優生保護法やろうあ者差別の問題を学ぶとともに、宮永さんの生活背景や現在の生活状況を把握しようと、「身体・健康的側面」「心理、社会的側面」「経済・制度的側面」の3つの側面から生活アセスメントをまとめました。さらに、これまでの人生を時系列で整理し、ろうあ者に関連する法律の変遷と照らし合わせて職員と共有しました。

 「宮永さんだけでなく、すべての利用者さんの生活歴や行動様式を知り、配慮することが必要だと思います。利用者さんが我慢をしていないか留意して、本音を感じ取りながらケアを続けたい」と話します。



【旧優生保護法】

 1948年に制定された「優生保護法」は、障害者や精神疾患をもつ人々を「劣った人」とみなし、本人の同意なしに不妊手術や人工妊娠中絶手術をすることを認める法律でした。手術を拒否しても身体拘束や麻酔を使い、手術を強行することが許されていました。1996年に「母体保護法」に改正されるまで、2万4991人が犠牲になりました。北海道は2593件と全国的にみても被害者が多い地域です。当時の人権感覚では、これらの手術は当然の常識とされ、長らく社会問題として認識されることはありませんでした。全日本民医連は、こうした人権侵害に気づかず、とりくみが不十分だったことを2022年に謝罪しています。

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