現場から

患者さんから学ぶ芦別事件

2020年1月1日

勤医協歯科 「気づきカード」で聞きとり学習

口腔管理の一環として生活背景を聞く吉村さん

 「戦後、日本国憲法の下でも、人権、民主主義が脅かされたことがあり、それらとたたってきたとりくみを、みなさんに伝えたかった」と、にしく勤医協歯科の歯科衛生士・吉村弓子さんは話します。(沢野天・県連事務局)


 勤医協歯科では、日常診療などで気づいた事例を全職員で共有することを目的に、「気づきカード」(事例報告)にとりくんでいます。職員が記入した「カード」は、法人の社保委員会で検討し、理事会に報告。全職員にも伝えられます。
 ふしこ歯科では、重症化を予防し、治療から口腔内の健康づくりへと転換することを目的に、SPTという歯科の管理システムをおこなっています。通常は3ヵ月に一度、定期的に口腔管理(診査、洗浄、指導など)をします。
 現在1000人以上がSPTで通院し、日常的な生活背景や全身状態を毎回聞いています。ふしこ歯科で働いていた吉村さんはSPTのとき、92歳の井尻光子さんに、「昔は何をしていましたか?」と質問しました。井尻さんは戦後起こった冤罪事件である「芦別事件」のことを話しはじめました。


北海道の冤罪事件


 1952年7月29日、芦別市にあった国鉄根室本線の鉄道線路が何者かによってダイナマイトで爆破されました。当時、炭鉱労働者で労働組合運動に参加していた夫の正夫さん(20代)と、同僚が逮捕されました。井尻さんは4人の子どもを育てながら、26年間裁判をたたかいました。正夫さんは、二審で無罪を勝ちとる寸前に、36歳で亡くなりました。
 井尻さんは飯場で働きながら家族を支え続け、夫の冤罪を晴らそうと活動しました。そのときの思いを綴った詩に、歌手の横井久美子さんが曲をつけ、「飯場女のうた」として今も歌われています。


「目とかまえ」を引き継ぎたい


 吉村さんは気づきカードに、「1945年に戦争が終わって、憲法が変わり民主主義が唱えられてから7年後に起きた事件です。戦後の混乱や三権分立も根付いていなかった時代、たくさんの方々の犠牲の上に私たちの権利が守られていることを強く感じました。自由は降って沸いたものではありません」と書きました。
 これまでの民医連運動を通して、日常の医療現場で人権を守る「目とかまえ」の大切さを学んできた吉村さんは、「信念をもって守ろうとした人たちの人生にふれて、日本国憲法をこのままの形で次の世代につなげたい」と話します。まもなく定年退職。後輩たちに民医連運動を引き継ぐためにも、「気づきカード」のとりくみを続けてほしいと願っています。

現場歯科地域・友の会