ムーヴメント

原発事故「私のまちだったら」と震え

2017年7月27日

福島被災地視察・支援連帯行動に職員が参加

放射線量の測定を受ける佐々木さん

 第8回福島被災地視察・支援連帯行動が2123日におこなわれ、北海道保健企画・北区ひまわり薬局の佐々木拓人さんが参加しました。報告を紹介します。


 3・11東日本大震災直後はテレビや新聞で報道されていましたが、最近は報道される機会が減り、もうかなり復興が進んでいるのだと思っていました。しかし実際は、約6年が経過した今も復興は進んでおらず、何も終わっていないことが分かりました。

 1日目は、原発から約60キロ離れた福島医療生協わたり病院で学習しました。内部被爆を検査するホールボディカウンターや食料の放射線量を測定するベクレルモニターなど、北海道では馴染みのない機械を初めて見ました。その後、地元の保母さんからお話を聞きました。震災前までは子どもたちを外で遊ばせていましたが、それすらもできなくなり、保育園の子どもたちが「向こうは放射線があるから行ったらだめだよ」と話していたと聞いて、いたたまれない気持ちになりました。子どもたちの日常に放射能の恐怖が染み付いています。原発事故は終わっていない、続いているのだと思いました。

 2日目は川俣町や飯館村、浪江町、双葉町などを視察しました。楢葉町に帰還した住民は、地域のみんなで月1回、料理を作る会を開いているといいます。「みなさんに会うことが何よりの楽しみです」という住民の言葉に、コミュニティを守ることの重要性を改めて感じました。

 海から200メートルの距離に位置している浪江町の請戸小学校に行きました。誰一人として津波にのまれることがなかったことから「奇跡の小学校」と呼ばれていますが、建物は老朽化が進み、もの悲しい雰囲気が漂っていました。

 帰宅困難地域は、車を停めることすら許されません。家や施設の前に柵が設置され、当時の状況がそのまま残されています。もし私の町がこのようなことになったらと思うと辛くて、そこを通るだけで恐怖を感じました。

 3日目は、今回学んだことを話し合いました。自分の考えや参加者の意見を交換することにより、福島県で起こったことに対する思いをより深めることができました。

 強く印象に残ったのは、商業施設や住宅の「復旧」が進んでも、そこに帰る人々がいなければ「復興」はできないということです。地震と津波の被害だけならば帰還する人が多かったと思いますが、目に見えない放射能の恐怖が消えない限り、本当の復興はありえないと強く思いました。

 短い期間でしたが、私ができることは北海道のみなさんに原発の恐ろしさや被災地の方々の思いを伝えることだと思いました。ひとりでも多くの人が「自分たちの所でも同じようなことが起こったら」という想像をしてほしいと思います。

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