ムーヴメント
沖縄の戦跡に背筋凍った
「第34回反核医師のつどい」沖縄で開催
反核医師の会と若手医療者がフィールドワーク
「第34回反核医師のつどい」沖縄で開催
反核医師の会と若手医療者がフィールドワーク
11月3~4日、「第34回反核医師のつどい」と、若手医療者による平和運動「ABC for Peace(いっぽプロジェクト)」合同の集会が沖縄県で開催されました。全国から160人の参加と50アクセスがあり、北海道からは医師4人、奨学生2人、道民医連職員1人のあわせて7人が参加しました。(小竹勇太・県連事務局)
初日は、いっぽプロジェクトのフィールドワークとして南風原はえばる町を訪れました。ここには、約30の壕が掘られ野戦病院として使用され、ひめゆり学徒隊が最初に動員された「沖縄陸軍病院南風原壕群」があります。参加者は、20号壕や南風原文化センターを見学し、沖縄戦や戦後の暮らしに関する資料を通じて学びました。また、沖縄陸軍病院に関する資料映像を視聴し、戦時中の状況を理解したうえで「飯あげの道」と呼ばれる急坂を登りました。この道は、ひめゆり学徒隊が重い米を運んだ場所として知られています。その先にある20号壕には、狭く真っ暗なトンネルの壁面に簡素な2段ベッドが設置されており、傷病兵が収容されていたといいます。
奨学生のYさんは次のように感想を話しました。「壕の中で負傷兵がどれほど劣悪な環境で治療を受けていたのかを想像すると、背筋が凍りました。また、青酸カリによる自決を医療従事者が推奨していたと聞き、現在の価値観とは全く異なる状況に恐怖を覚えました。『子どもの頃、戦争のことを知らず壕の中を遊び場にしていた』というガイドさんの言葉も印象的でした。戦争体験者が少なくなる中で、その記憶をどう伝えていくかが課題だと感じます。学んだことを伝えることが自分にできることだと思います」。
2日目は「反核医師のつどい」主催の企画として講演会やシンポジウムがおこなわれ、日本と台湾の情勢、沖縄の基地問題、宮古島のミサイル基地の現状について学びました。
Fさんは、「沖縄や周辺の現状を知り、多くを学びました。自分たちにできることを考えて行動していきたい」と語りました。