ムーヴメント
「久しぶりに人と喋ったよ」
能登地震から1年 「地域訪問行動」に全国から能登へ
能登地震から1年 「地域訪問行動」に全国から能登へ
能登半島を襲った震災から1年。石川民医連は10月から11月にかけて「秋の地域訪問行動」を実施しました。全国の民医連職員が連日支援に入り、震災と水害の被害状況を視察。共同組織の方々の避難先や健康状態を調査しました。道民医連からは2人を派遣。11月18~20日に珠洲市や輪島市を訪れた県連事務局の岸上利光さんが報告します。
震災から1年が経とうとしているのに、震源地となった珠洲市では、未だに道路が寸断され、倒壊した家屋も多くが放置されたままでした。多くの共同組織の方がどこに避難しているのか把握できていません。
神奈川県川崎市に住んでいた40代の男性は、地震後に仕事を辞めて伯父の住む珠洲市に移住しました。住宅は全壊し、伯父は仮設住宅で暮らしています。男性は、辛うじて庭に残った離れで暮らしています。「これから私も伯父も、どうなるか全くわかりません」と力なく話しました。
珠洲市蛸島地区の住宅に、高齢の女性が一人で暮らしていました。「地震発生からひと月も電気が通らなくて、小さなストーブだけで温まってたの。ちょうど金沢に住む娘からお餅が届いたから、なんとか助かったわ。うちは屋根が壊れたけれど、補償は出ないっていうの。しょうがないからブルーシートを被せるしかないのよ。次に地震が来たら倒壊するかもね。4年前に死んだ夫のところに早く行きたいわ」と話しました。別れ際に「久しぶりにこんなに人としゃべったよ」と言って見送ってくれました。
翌日、輪島市の山間部にある山岸地区を訪ねました。氾濫した川の土砂や流木で田畑が埋もれていました。壊れた家の庭で畑仕事をしている男性がいました。震災後は仮設住宅に住み、そこから家に通って片付けをしているといいます。「4畳半の仮設住宅は夜寝るだけだ。あそこにはとても住んでいられない。何とかこの家を直して、ここで暮らしたいね」と、瓦礫を見つめました。
独居の女性は、裏山が土砂崩れをして、木の枝が屋根にもたれかかっているといいます。「市役所にお願いしているけれど、まだ手が回っていないようだ」といいます。次に地震や豪雨が来たら家屋が土砂に埋もれる可能性が高く、一刻も早い対策が必要です。
多くの家は全壊し、手つかずのまま放置されています。全壊・半壊は更地にするための補助金を受けることができますが、準半壊や一部損壊と判定された家屋には補助がなく、歪んで扉の開かない、雨漏りした家で暮らしています。
能登の人々が少しでも早く、住み慣れた土地・畑に戻れるようにすることが必要です。地域のコミュニティーだけでなく、生業・産業を守り生活を取り戻すために、私たちは被災地の人々を忘れず、支援を続けていきたいと思います。