ムーヴメント

一生続く 戦争の影響

2020年9月11日

戦争体験を聞く平和のつどい
かりぷ・あつべつ

 かりぷ・あつべつは「戦争体験を聞き、自分たちにできることを考えよう」と、「平和のつどい」を9月1日に開催。職員30人が参加する中、高齢者生活支援ハウスえみなに入所している齊藤幸子さん(90歳)と北海道被爆者協会の大村一夫さん(80歳)から戦争・被爆体験を聞きました。(渋谷真樹・県連事務局)


戦争さえなければ


 「戦時中の様子はアニメなどでしか知りませんでしたが、初めて体験者の声を聞いて、本当に体験したことから出る言葉の迫力を実感しました」と参加者から感想が寄せられたのは、齊藤さんの戦争体験でした。
 東京・浅草で生まれ育った齊藤さんが12歳のとき、戦争が始まりました。どんどん空襲が激しくなり、ついに焼夷弾が降ってきました。「火の粉が舞い上がり、母、兄弟と一晩、橋の下で過ごしました。朝は一面焼け野原で、たくさんの黒焦げの遺体がありました」。
 父や親戚が戦争の犠牲になり、戦後は母、姉妹とともに新潟や千葉を転々と移りながら苦労してきたことを語り、「父や親戚にも、やりたいことがたくさんあったでしょう。戦争さえなければと思うと胸が痛くなります。学校に通えて家族と過ごせる、幸せな時代が続くことを願うばかりです」と声を詰まらせました。


5歳の記憶 鮮明に


 広島の爆心地からわずか1・6キロの地点で被爆した大村さんの体験談には、「被爆直後の光景が頭に広がりました。死の恐怖と一生隣り合わせの恐怖と闘ってきたなんて。戦争と原爆はなくさなければ」「知らないことばかりでショックでした。もっと多くの人に聞いてほしい」と感想が寄せられました。大村さんは当時5歳でしたが、鮮明に覚えているといいます。
 「千葉県に住んでいたときは毎日のように空襲警報が鳴り、爆撃機が飛んできました。東京大空襲も覚えています。父の転勤で広島市に移ってからは爆撃がなく、8月6日の朝までは何事もない、穏やかな日々を過ごしていました」。
 大村さんは近所の子どもたちと地面に絵を描いているとき、家族から朝食に呼ばれました。そのまま遊ぼうとすると、友達から「早く食べてから戻っておいで」と言われ、家に入ります。その瞬間、閃光とともに体が吹き飛ばされました。
 「友だちの言葉が今も忘れられません。あのまま遊んでいたら、私もこの世にいませんでした」。
 その後、血だらけでちぎれた服をまとった大勢の人々が水を求めて川に飛び込んでいき、ぷかぷかと浮いてきたこと、熱線で炭のように焦げた柿やカボチャを、放射能の危険も知らずに食べたことなど、記憶の中の光景を語りました。
 戦後も悲劇が続きました。「まわりの人たちの髪が抜け落ちて、亡くなっていきました。私も小学2年のときに高熱が続き、1年以上通学できなかった。就職後も白血病と診断されることが怖くて、職場検診を受けられませんでした。戦争はみな悲惨ですが、放射能の影響は一生続きます。過ちを繰り返さないよう勉強が必要です」と語りました。

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